11月ですね。
11月は旧暦の呼び方で霜月、寒さが訪れ霜がふる月と言われています。
(ですが、本当は旧暦は12月に当たるので、実際にはまだ霜が降りないところが多い月ですが)
他にも10月は神無月で、神様が出雲大社に集まりお祭りをしていたいので、
11月は帰ってくる月として、「神帰月(かみかえりづき・しんきづき)」、
「神来月(かみきづき)」、「神楽月(かぐらづき)」という呼び名もあるそうです。
面白いですね。
さて、そんな神様が身近にいると思われていた時代と、神様なんて存在しないだろうと思う現代で、
何が違うんでしょうか。
神様が存在し、見ていると思われている時代には、「悪いことをしたら返ってくる(罰が当たる)」
「神様に恥じない生活をしなければいけない」など、
常に見られている存在を感じている人もいたそうです。
そうすると、自然に自分を律する気持ちが出てくるのですね。
人は弱い生き物ですから、すぐにずるかったり、自分さえよければという気持ちが出てきやすいのです。
そんな気持ちに対する忍耐強さが「神様の存在」によって得られていたのかなと思います。
基本的には神様が見ている、神様は公平に扱ってくれるなどの考えはバイアスの一種ではありますが、
自分たちにとって良い効果をもたらしてくれるなら、バイアスはあっても良いのかなと思っています。
私は神様がいるかは分かりませんが、自分の振る舞いが自分に返ってくると思っているので、
自分を律していたいと思います。