最近知った「蛙化現象」という言葉、皆さんはご存じでしょうか。
若い人の中ではやっているらしく、
好きな相手がいたとしてその相手の格好悪い所を見た瞬間に冷めて、
好意が一転、嫌悪に変わってしまう事を「蛙」と言ったりするそうです。
さも新しい事のように思えますが、紳士的と思っていた人が、
お店で店員に暴言を吐くと一転、冷めることがあると思いますので、誰しもがあることです。
ただ、ここで特徴的なのが、ハードルが下がる行為が本当に些細な事であることです。
例えば、歩いている時にこけかけて、それを何でもなかったように振る舞うこと。
フードコートでお盆を持って自分を探している姿を見た時、
改札でスムーズに通れなかった時、食事の時に選ぶスイーツが想像と違ったこと、
そんな事で「蛙」と思ってしまう人もいるそうです。
何だか、「本当なんだろうか」と言ってしまいそうだし、
「そんな事で一つ一つ嫌悪に代わっていたら生きにくいだろうな」とも思います。
ただ、よくよく見ると実は盛り上げているのは、大人の方だなと思ってきます。
ある専門家(?)は、グリム童話の『カエルの王子様』がルーツになっているとの節や、
そもそも蛙は生理的嫌悪感があるという節もあるそうです。
ですが、そもそも高校生や大学生が使う言葉にそんなルーツを求めるでしょうか?
私たちが昔に使っていたような「やば!」とか「冷めるわ~」とか
「うざっ」とか、蛙化現象の多くもその程度であり、
ルーツもなく、他の人が使っていたから使っているだけで、
本当に嫌悪感に変わっている訳ではなさそうだと思います。
しかし、この「蛙化現象」は非常に取り扱いやすいか「深刻な問題」とか、
「子供の自己肯定感が低く、経験が浅いから、相手に理想の状態を押し付けている」とかを
大々的にニュースに流しています。
そして一定の人は自己暗示にもかかりやすく、
「私ってそうなのか」となるのかなと思います。
何だかかわいそうですね。
この現象を見ると「問題を作らない」って大事だなと改めて思いました。