意味の必要性

昨日、意味の心理学という物を学び直す機会がありました。

これはフランクルという心理学者が考えた物ですが、

この方はユダヤ人で、ナチスドイツの時代に捕まり

アウシュビッツ強制収容所に投獄されていた経験があるのです。

 

人は人生の中で意味を見失うと気力を失い、意味を見出すと活力が湧いてきます。

それをアウシュビッツ強制収容所で体験し、多くのセラピーの中で感じた先生です。

 

少し面白いエピソードがあります。

クリスマスに収容所に収められている人が解放されるという噂が流れたそうです。

 

半信半疑ながらも信じる人がいて、ワクワクしていたそうですが、

24日になっても、25日になっても解放されませんでした。

そのまま26日、27日になると、次々に倒れる人が出てきたそうです。

 

その理由は、自分はクリスマスに解放されると信じていた方が、

解放されることはないということで、目標(意味)を失ったことによって、

何とか気力を保っていた人が、絶望してしまい倒れたのです。

 

人は、自分の生きる意味(目標)があると気力が湧き、

なくなると気力がなくなるのです。

 

ただ、この「意味・目標」は、初めからある物ではなく、

自分で「決める」ことができます。

 

見つけるのではなく、「決める」ことができるのです。

「私は子供たちの笑顔のために生きる」と決めた際に、それが生きる意味になるのです。

 

もし、何かやりがい・生きがいを感じない、そして感じていきたいのであれば、

是非とも、決めてみましょう!

 

そうすると、人生が変わっていくかもしれません。