最近は子供たちの将来の夢は、Youtuberが多いそうです。
それに対して様々なコメンテーターや評論家は自分たちの意見を言っています。
このような事は駄目な事なのでしょうか。
そもそも、何故、将来の夢を言う時に、子供は職業名で答えるのでしょうか。
今回は、この理由に関して説明していきます。
人は、何かの言葉をしゃべる時に具体的な内容を好む傾向にあります。
それこそ「ぐわーんで、ドカーンで、バーンやねん」などと話すと、
チンプンカンプンで、知的レベルが低いと思われてしまします。
これを「初めてYoutuberを見た時に、大きな衝撃を感じて、
こんなに人を楽しませる仕事があると思うと、感動した。
しかもお父さんの表情を見ていると疲れているのに比べて、
Youtuberは生き生きとしているように思うのが憧れに繋がった」
と説明されると、何だか納得してしまいそうです。
このように具体的に話すことが知的レベルが高いと思われますが、
ただ、実は私たちは何かを望むときに、抽象的な感情を望みます。
それこそ、夜景の綺麗なレストランに行きたいと思います。
この時に、夜景の綺麗なレストランで美味しい食事をすることが目的のように思いますが、実はそうではありません。
そこに行き、予想以上の夜景と食事を通して、素晴らしい時間を過ごす事が目的であり、
さらにいうと、その体験を通して、感動することが目的なのです。
でも、誕生日に何が欲しい?と聞かれて、「感動でぶわーってなりたい」と答えると
やっぱり変な人扱いされます。
その為、「夜景の綺麗な所で美味しい食事をしたい」という具体的な行動を言います。
そして、実際に夜景の綺麗なレストランに行っても、そこで何かトラブルがあり、
気持が沈むと、夜景の綺麗な所で美味しい食事をしても、感動を味わえず
嫌な気持ちになります。
このように私たちが本当に望むのは、抽象的な心の部分です。
もしかすると子供たちはYoutuberに人を笑顔にして、自分も楽しめる仕事というイメージの感情を持っているのかもしれません。
人を笑顔にして、自分も笑顔になれる仕事をしたいと子供が言った時に
否定する親は居ません。
しかし、Youtuberという具体例になると拒否感に繋がります。
難しいですね。
何故、将来の夢は職業名か、それは大人が具体的な表現を求めるからです。
是非とも拒否せず、どうしてそれを望むのか聞いてあげて下さい。