ありがたいの反対

「ありがたい」の反対語をご存知でしょうか。

 

これはお坊さんの説法で、よくある話ということなので、

ご存知の方も多いかもしれません。

 

「ありがたい」は漢字で「有り難い」と書きます。

「有ることが難しい」ということの反対の状況は、どういう状況でしょうか。

それは「有ることが優しい」ということなので、

言い換えると「有って当たり前」ということになります。

 

つまり、「有り難い」の反対は「当たり前」なのです。

 

誰かに、何かをして貰うとお礼として「ありがとう(有難う)」と言います。

つまり、誰かに何かをして貰うことは、「あって当たり前」のことではありません。

 

しかし。つい何回も誰かに何かをして貰うと

そのことを「有り難い」とは思わず、「当たり前」と思ってしまい、

お礼を言うことも無く、むしろ何かをして貰わないと、怒る方もいます。

 

私はスマートフォンである無料のアプリを使用しています。

文章を読み上げるソフトなのですが、私的には使い勝手がよく、

それを無料で作ってリリースされている開発者には、

本当に「有り難い」と思います。

 

ただ、この方からお知らせとして、多くの批判やクレームがあって、

開発を中断しようと思うというお知らせが来ました。

 

無料のものを使用させて貰っているのであれば、

感謝することはあっても、批判やクレームをすることは、不思議に思います。

 

しかし、この批判やクレームをしていた方は、

当初は「有り難い」と思っていたとしても、いつしか便利な物を無料で使うことが「当たり前」と思って、

不便を感じると「当たり前」が侵されたと思って、クレームを伝えているのかもしれません。

まさに「有り難い」気持ちの対局ですね。

 

私たちは100年前には、食事をすること、電気を使用すること、

命の危険を感じずに過ごすことなどは、「当たり前」のことではなく、

「有り難い」ことだったかと思います。

 

しかし、今の私たちには「当たり前」のことであり、

この「当たり前」が得られないと不満を感じます。

もしかすると、「有り難い」という思いを忘れていることが多いのかもしれません。

 

この「有り難い」の反対は、「当たり前」ということは、

正式な反語ということではなく、ある一つの捉え方ですが、

私はこの話を聞いてなるほどと思いました。

 

今後は、「当たり前」と思った時に、自分を振り返り、

本当に当たり前なのかを考え、「有り難い」状況であることを忘れず、

感謝の気持ちを思い出していきたいと思います。