合理化の勘違い

以前に、少し合理化のお話に触れました。
ただ、この合理化を調べると、あまり良い意味ではないようです。
1、もっともらしい意味づけをすること
2、能率を上げるために無駄を省くこと。企業では能率化、機械化を進めることで生産性を高めようとすること。
3、心理学での言い訳をして正当化しようとする行為
という意味だそうです。
もっと良い印象があると思っていましたが、あまり無いことをしり驚きました。
思い込みは怖いですね。
今、産業分野ではこの2番目を意識して合理化を叫ばれているのかなと思います。
その為のAIなどの導入を進めようとしている所が多いと思います
その一環として、企業と政府は合理化の名前の元、派遣制度を導入しました。
1986年なので、正確には32年前の話になります。
ただ、これは能率を上げる為ではなく、PC入力などの事務職員などを
正社員から低賃金での派遣社員として雇用し、
さらには調整弁として雇用の調整されています。
これは、コスト削減であって、生産性を高める行動ではありません。
むしろ派遣社員になった際に、派遣の期間が終了すると新たに教え直すので、
コストは削減されるが手間は増えるので、結果的に能率は下がります。
むしろ、仕事が良く出来る派遣や契約社員が来た場合、
その人がいる期間には仕事が上手く回るが、
その人が辞めた後には仕事が滞り、さらには後任に同じ仕事を求めて
後任がすぐに辞めてしまうという問題も聞いたことがあります。
本当の派遣がすべき水準ではなく、正社員に求めることを派遣や契約に求め
失敗してしまうのだと思います。
これらは合理化と思いながら、ギリギリの余裕の無い水準で動く機械を作ったように思います。
何か一つの歯車がずれると、その機械はすぐに潰れてしまいます。
自動車にも自転車にも遊びと呼ばれる余裕を残していますが、
今の社会ではそれすら無いように思います。
AIが事務処理をすることで、事務作業の時間が少なくなり、
その間に元々事務をされていた方は、クレーム対応方法を考えたり、
他の部署とコミュニケーションを取って仕事を進めやすい環境を作ったり、
事務所の動線を考えたり営業が動きやすいような支援を考える
これが本来の生産性を上げるための合理化なのかなと思います。
もっと現場の人や、余裕、そして人本来の特徴をしっかりと捉えて、
その上での最適な合理化を行い、社会全体が良くなるような
最適化を是非とも考えて頂きたいと思います。