過去の風習

昔ながら続いた物を打ち崩す時に抵抗を人は感じます。
さらに、人は自分の責任で何かをしなければならないと思うと忌避しようとします。
その行動が皆が支援をしてくれると良いのですが、
批判する人がいた時に、人は中々、行動ができません。

現在、非常に暑い日々が続いており、
そのような中で小学校が登下校中の水分摂取を禁止していたり、
スポーツドリンクの摂取を禁止し、水筒にはお茶か水という指導をしていることに
批判が起こっています。
実際に、倒れて入院だけではなく、死人まで出てしまっているので、
何とかしてほしいと願ってしまいます。

さらには、今月頭の大雨で、今もまだその傷跡は大きく残っていますが、
そのような大雨にも関わらず、幾つかの大学が
休校措置を即座に取らなかったことを問題に上げているニュースを拝見しました。

これを安易に非難することは簡単です。
もっと、柔軟にしなければいけないとコメントすることも簡単です。
しかし、現場にいる方が実際に決断し変革することは、
容易なことではないのかなと思います。

学生や、目の前の方のことを思えば柔軟に対応したいと思うでしょう。
しかし、そのあなたの行動により、小学校であれば、
文部科学省、PTA、保護者の声、他の小学校、他の先生方、近隣住民(という卒業生)の声など
多数の所から批判がくる可能性があると思えば、
その行動により自分の職を失う可能性があるとすれば、
簡単に行動することができるでしょうか。
なかなか、難しいと思います。

夏はスポーツドリンクが必須ですが、
それを許すとある方からは小学校のせいで生活習慣病になったと言われた場合に、
対応に困ります。

だからと言って、500mlを一本などの制限を付けても批判がきます。
それならいっそ、何もせず、前任者が、国が、PTAが決めた内容に従おう、
そのように考え、同じく皆が皆、同じことを考えて
今の現状が起こっているように感じます。

大学が休校にしなかったことも、授業の回数が文部科学省より求められており、
それを守るために、実施したという先生や学校も多かったようです。
もちろん、被災により授業の回数を臨機応変に対応しても良いとはなっているのですが、
臨機応変にしなさいという命令では無いため、臨機応変に対応した時に
万が一その対応が間違いであった時に責任を問われると困るので、
従来通りの対応にしたという所が多いようです。

英断が出来ると良いのですが、英断には責任が付いてきます。
その責任を問われて責められる可能性があるのであれば、
英断ではなく従来通りの方針にした方が楽なので、
そちらを選んでしまうことが、多いように感じます。

このような状況では、1番上が責任を持って判断を下すか、
もしくは、判断を誤った時にも、周囲の人たち全てが寛容になり、
判断しようとしたことを賞賛する雰囲気が必要です。
ただ、周囲の人たち全てが寛容になることは、今の日本を見ると難しいと思ってしまいます。

現場の人たちは、色々と悩みながら、本当はこうしたいという思いを抱きながら、
板挟みで苦しんでいる方も多いと思います。
そこで思い悩み過ぎないように、倒れないように、して欲しいと思います。
そして、第三者は無責任に非難だけをするのではなく、
その改善のための行動を、声を上げて頂きたいと思います。

そのようなことを葛藤をされている方々に触れて感じています。