馬鹿にする気持ち

人の心は非常に複雑です。
凄く好きな相手がいたとしても、些細なすれ違いで裏切られたと感じ、
好きな気持ちが大きい分、嫌いになったり、場合によっては恨みに至ってしまう場合もあります。

機械的であれば、些細なすれ違いが再度決定的なすれ違いか、
本当に裏切られたのかを分析し、特に問題ないという判断を出して
何事もなく済むかもしれません。
本当に人の心は非常に複雑な動きを示します。

そして、その中で最も複雑なことは、当の本人が自分の本心が分からないということです。
好きだけど嫌い、恨んでいるけど好き。こんな真逆の矛盾した感情が両立するのが
人の心なのです。

この矛盾した心の状況を説明すると、「女性は多いですよね」と言う方がいましたが、
男性にも多いです。
例えば、バレンタインデーの日に「こんな年齢で今更チョコを貰っても嬉しくないわ」
なんて言っていても、自分の同僚がチョコを貰って自分が貰えないと悔しいですし、
自分だけが貰えると喜びます。
言っている時は本当に「どうでもいい」という気持ちを持っていても、
一方で「どうでも良くない」気持ちを抱いている方は多いです。

そんな矛盾した気持ちを両立させる複雑な心ですが、
その最たるものは、「人を馬鹿にしているとき」なのかもしれないと思いました。

何か新しいことや大きいことに挑戦をしようとする人を見ると、
馬鹿にする気持ちや、あたかも予言のようにきっと失敗するということをいう方はいます。
今は、直接言う方は少なく、インターネットなどを通して言う方が多いかもしれません。

その背景には、本当に馬鹿にする気持ちもあるのかもしれませんが、
一方で、そんな無謀なことや新しいことに挑戦する方への
羨望や嫉妬、憧れなどの気持ちを同時に抱えている場合が多いです。

人は馬鹿にしている気持ち単体ではあまり関心を示すことはできません。
道の端に茂っている雑草を見て、
「こんな所に生い茂っても育つわけが無いのに馬鹿だな」なんて言っている人を
あまり見たことがないと思います。
赤ちゃんが涎だらけの顔を見て、
本気で馬鹿にする方は殆どいないと思います。

そこに羨ましいや悔しいや心配や面白いなどのもう1つの気持ちがあって、
初めて人は気になります。

インターネットで、非常に責められる方がいますが、
本人に原因がある場合もあれば、それ以外に妬みなどの結果、
気になるけど嫌い、好きだけど嫌いなどの矛盾した気持ちを抱かれて
攻撃され責められる方もいます。

もし、皆さんが何かに挑戦しようとする際に
非難されたり馬鹿にされても、
それを真正面から受け取る必要はありません。

その方々の人を非難しようとする気持ちや馬鹿にしようとする気持ちは、
その方自身の妬みややっかみである可能性があるからです。

心配などの気持ちであれば、その気持ちを受け取った上で
ご自身で決断をすれば良いですが、
馬鹿にする人の気持ちは受け取る必要は無いと私は思います。

そのようなことをある方のご相談から感じた今日この頃です。