「当たり前」

当たり前とは非常にありがたいことで、
失うと大変な事だと最近思いました。

例えば居て当たり前の人が居なくなった時に、
居てくれた事のありがたさと、失った時の喪失感が
非常に大きかったことを感じます。

歩けて当たり前な状態から、病気や怪我で歩けなくなった時に
普通に歩けることの有り難さと、満足に歩けないことで、

整備されていない道の歩きにくさ、放置された自転車や
ちょっとの段差に苦労をすることを感じて、
当たり前に歩けていた時が非常に素晴らしいことなんだと実感します。
私は以前に旅行で北京にいった時に、
二泊三日ですが、アレルギー性喘息と鼻炎が酷くなり、
帰国後、1週間は大変な状況になりました。
日本の空気は非常に綺麗だったんだと感じ、
空気や水、普通に過ごせる当たり前の日本での生活は
本当に貴重だと感じたこともあります。
先日、非常にお世話になっている方が、
お仕事の関係で離れることになりました。
その方には、本当にお世話になっており、さらには非常に頼りにしていました。
その為、その方が居て当たり前の日常は非常に安心感があり、
居なくなることは、非常に不安になりました。
当たり前は、本当に当たり前にあり過ぎて、
なかなか気付かないことが多いです。
そして、変化があって初めて当たり前の有り難さを強く感じることになります。
私も、それを分かってはいたつもりですが、
改めて感じています。
ただ、その当たり前が無くなることも、一つの人生の転換期であり、
成長の機会と捉える考え方があります。
当たり前は、さりげなく私たちを支えていてくれた物でもあります。
それらが失った時に、失ったことに囚われすぎず、
その後、どうするか考えることも大事かなと思います。
当たり前が無くなった時には、目一杯悲しみ、
そして、次のことを考えていくことが大切だと思います。
私も、この機会に、お世話になった方に笑われないように、成長したいと感じています。

もし、ショックが受け止めきれない際には、ご相談に来て下さい。
私も一緒になり、ショックを受け止めさせて頂きたいと思います。