「分からない」ことの大切さ

ある教授の言葉ですが、
「分からないと思う人だけ大学院に学びに来て下さい。」
と仰られている言葉を覚えています。

大学院は研究機関であり、研究は分からない事を研究し探っていきます。
それは心理学でも同じことだそうです。

例えば、「失恋をした時に悲しくなる人」が居たとします。
どのように思うでしょうか。
それを「当たり前」とか、「失恋すると悲しくなるよね」と思うかもしれません。
勿論、これを思っても大丈夫ですが、これで分かった気持ちになることが
駄目という事です。

「でも、失恋をしたのに、すぐに翌日には別の人と恋に落ちて
 元気に振舞っている人がいる。

 なら、失恋と悲しいに関連性はどれ程あるんだろうか?
 失恋=悲しいではなく、失恋と悲しいの間に何かの考え方が挟まるのではないか。
 分からない、何故だろう?」
そんな風に思える人が研究者向きだそうです。

この分からないと疑問に思う気持ちが研究を推し進めていき、
今の世の中を発展させていきました。

例えば、梅干を見ると唾液が出ますよね。
これは「そういうもんだ」と思っていれば何も判明しませんが、
何故だろうと思う気持ちから、詳しく仕組みを解き明かすことで、
S-R理論という視覚などの刺激から生理的な反応が起こる理論と
学習理論という梅干=すっぱいものということを食事から体験し
学習することで、その認知ができることを解き明かしました。

それらが何の役に立つかというと、
例えば、交通事故を起こして車が怖いという人の治療に役立てたり
さらには子どもの勉強を効率的にする方法に役立てたりしています

些細なことにも「分からない」という気持ちが、
多くのことを解き明かしていきました。
大学院では「分からない」と多く言う人ほど、非常に大切だそうです。

「分からない」人は駄目で、何でも「分かっている」人は
良いという風に考える人も居るかもしれませんが、
そんな事は無いそうです。

私もついつい分かったような気になる時があるかもしれませんが、
本当に分かっているのか、と考えて、
分からないことを素直に分からないと感じて、
分かるための努力や研究を積み重ねたいと思います。

「分からない」ことは非常に大切です。
どんどんと、「分からない」事を見つけて、
それを勉強して解き明かし成長していって頂ければと思います。