綺麗と汚い

綺麗なもの、汚いもの、

どちらが嬉しいでしょうか。

きっと、綺麗なものだと思います。

 

綺麗な行為と汚い行為、

どちらが気持ち良いでしょうか。

きっと綺麗な行為だと思います。

 

綺麗な考え方と汚い考え方、

どちらが好ましいと思うでしょうか。

綺麗な考え方と答えるかもしれません。

 

では綺麗な考え方、汚い考え方とは何でしょうか。

相談を行う中で、時々、自分は汚い人間だ、

あさましい考え方をすると自分を責めてしまう方がいます。

 

誰も妬まず、羨まず、挫折せず、屈折せず

真っすぐ綺麗に育つことを望んでいるのだと思います。

しかし、挫折で曲がっても、時に傷付いても、

誰かを羨んだり、妬んだり、悩んだり、苦しんでも

それは綺麗なことが損なわれることではなく、

汚い考えではないと思います。

 

真っすぐと伸びている木は壮大かもしれませんが、

曲がりくねって、尖っている松の木も味があると思います。

 

自分は綺麗や汚いと悩む必要はありません。

汚い部分があっても、それは人間味のような味になると思います。

自分を責めることは必要ないと思いません。

反省をして、次に向かって、将来に向かって考え、

行動していけば良いと思います。

 

例え、汚い行為として誰かを妬んで文句を言ったとしても、

それを後悔して、今後の反省として活かしていけば、

過去の妬みも、自分自身を成長させる糧になり、

人間味に繋がっていきます。

 

ですので、どうか自分自身を責めず、

汚いと思わず、前を向いて頂きたいと思います。

 

そのように感じた今日この頃です。