宗教ビジネス

最近、私の身の回りで宗教の勧誘の話を聞くことがあります。
テレビで騒がれていること以外に、私が利用している駅で
駅前で勧誘活動をされているのです。
 
友人も勧誘されており、「こんな宗教がよく来るけど、どう思う?」などと、
相談されたこともあります。
本当に、増えているように感じます。
 
私は、あまり宗教は好きではありません。
それは、宗教自体が好きではないということではありません。
ビジネスのような宗教が好きではないのです。
信じる気持ちや、神様やご先祖様が見ていると思いながら、
善行を行うのは素晴らしいことではあると思います。
しかし、その善行の強要や、
場合によっては喜捨や、お金は不浄のものという考え方を押し付け
宗教を広めている方々が真逆のことをしていることに
不信感を抱きます。
どうして、人を助けるや世界を救うと言いながら、
非常に豪華な建物を持ち、高価なリムジンで乗り付け、
高級な衣服をまとっているのでしょうか。
本当にご自身がおっしゃる宗教の考え方を信じているのであれば、
それら全てを投げ出し、多くの人を救って欲しいのですが、
様々な理由を付けて、決して投げ出しません。
私が好きな宗教の考え方は、ブッタの仰った仏教、その中でも
今はあまり広まっていない小乗仏教の考え方です。
さらには神道です。八百万の神々という考え方で、
神社の中には御鏡を祀っています。
私が好きな宗教に共通していることは、
両方共が最終的に自分自身に返っていることです。
仏教では、仏(ほとけ)を敬います。
そして、死んだ方を仏様(ほとけさま)と言うのを聞いたことはありませんか?
神道では、木や土や水や衣服や傘にも神様が宿るのです。
さらに、神社で神様に拝みに行きますが、神社には鏡があるので、
鏡に映った自分自身に拝んでいるのです。
私は、全ての人の心の中に神様がいると思います。
そして、善行は自分の中の神様が喜び、悪行は自分の中の神様が苦しむと思います。
 
例え、どれほど銅像や仏像に祈ろうとも、
お金を捧げようとも、人を勧誘しようとも、
それで喜ぶのは神様ではなく、宗教をビジネスとして捉えている人のように
私は感じています。
 
ビジネスではない、本当の真実の宗教だと言うのであれば、
一等地の豪華な施設や設備、高価な服装、
様々な権威との付き合いや、
多額のお金は不要だと思います。
その為、私にはそのような誘いをご遠慮頂ければ幸いです。
勿論、これは自分の私財を全て投げ打ち、飢えるぐらいに
周りを支えろという訳ではありません。
過剰なお金を喜捨や寄付などの言葉を使って要求し、
教祖と呼ばれる方々な豪華な装飾品や豪邸に住んでいることがおかしいと
私が思っているだけです。
それであれば、お金があっても積極的に寄付し、質素な生活をする
バフェット氏のような方のほうがより、私は尊敬します。
私は個人の中にある神様を信じて、
私の中にある神様を信じて、人に強要せず、
人に寄り添い、お話を伺いながら、
生きていきたいと思う今日この頃です。