やり過ぎると駄目になる

日本は気遣いが非常に豊かで、

様々なサービスから満足感を得る事ができます。

 

例えば電車の駅員に道を尋ねれば丁寧に答えて下さり、

飲食店に入ると声を掛け、綺麗な席に案内して頂き、

丁寧な接客を受ける事ができます。

 

このような飲食店の接客も高級レストランだけではなく、

普通のファミリーレストランでも受ける事ができます。

この週末に入ったレストランでも丁寧な接客を受けました。

 

このような素晴らしいサービスは日本の売りだと思います。

しかし、始めはこのような接客を素晴らしいと感じますが、

少しずつ人は慣れてきます。

 

非常に美味しいお菓子があったとしても三日連続で食べていると飽きてしまいます。

同じ様に素晴らしいサービスも受け続けると当たり前に感じてきます。

 

それどころか、それ以上のサービスを要求したり、

あくまでも無料の心遣いであるサービスに対して、

それ以下のサービスだと怒ってしまい苦情を言う方もいます。

 

例えば、ファミリーレストランに入ったとして、

「いらっしゃいませ」という言葉が無く「何名ですか?」と敬語で聞かれ、

席に案内されたとします。

どのように感じますか?

 

十数年前にこの対応をされても特に何も感じないと思います。

ただ、今では接客の悪い店というレッテルを張るかもしれません。

あくまでも親切心で行なってきた行為に対して、当たり前と感じ

さらには接客の悪い店という、評価を下してしまうのです。

 

このようなサービスの何が悪いのでしょうか。

これは、受ける方にとっては、ドンドンと当たり前に感じながら

過剰なサービスを提供を要求するようになってしまいます。

小学校の先生は、サービス精神で色々な子供の対応をしていたと思います。

子供が好きだから。

ただ、子供の学力や生活に関して、例え学校にいる間でもすべてを管理できる訳ではありません。

 

30人の暴れる子供たちを1人の先生で管理は出来ません。

先生が雨の日にぬれている廊下を走らないように注意をしたとして、

その注意を聞かず、走って暴れて、大怪我をしたとします。

これは誰の責任でしょうか。

 

ただ、過剰なサービスが当たり前に感じている人に取っては、

先生だから全てやるのが当然と、要求してしまいます。

親が、自分の行動や、普段の教育を振り返らなくなってしまうのです。

これは、非常に怖いことだと思います。

 

さらに、サービスを与える側も大変です。

次々に要求される過剰なサービスに応えようと疲弊していきます。

自分が今、受けているサービス。アルバイトの店員に求めているサービスを

自分が今後、対応し続けなければいけないと考えるとゾッとしませんか。

 

しかもそれが、自分の選んだ仕事なら対応できるかもしれませんが、

もし偶然にPTAや、何かの役員に偶然なったとして、

その役員やPTAの仕事を完璧にこなし、周りの人の要求に答えるサービスを提供できなかったときに、

責められると考えればどうでしょうか。

 

やり過ぎると自分だけではなく、周りの人も駄目になります。

勘違いもしますし、さらには関わる人が疲弊します。

 

最近は、サービスをしないと宣言しているお店も出てきているようです。

それは、良い傾向かなと私自身は考えています。

 

もし周りの気持ちにこたえることがしんどければ、

自分も周りに心遣いをするけれども、し過ぎないと決断する事も大切かなと思います。

そんな風に思うカウンセリングをさせて頂いた今日この頃です。