選択的注意、選択的不注意

今日の晩御飯に、麻婆豆腐か麻婆ナスかで悩んでいると、

スーパーに行った際に、豆腐やナス、ひき肉などが目に付きます。

 

一方で、ひき肉のすぐ近くに置いているレバーなどは目に止まりません、

値引きのシールが入っていれば別ですが、他の商品と同じ様な値段の色だと気にも止まりません。

 

選択的注意とは、自分自身が興味関心がある物に注目し、注意を払う機能です。

例えば、電車の中で好みの異性が居たとしたら、何となく容貌を憶えているかもしれません。

 

一方で、選択的不注意とは、視界に入っていても、記憶に留まらない、注意を払わないものです。

スーパーの事例でいくと、レバーなど自分は買わないと思っているものは視界に入っても記憶することは

殆どありません。

好みの異性の隣に座っていた方の顔を覚えているでしょうか。

多分、居ないでしょう。

 

人は常に選択的注意と選択的不注意を無意識に行なっています。

今日、家を出てから職場や学校に来るまでの間に、どのような物を見ましたか?

憶えているものと憶えていないものがあります。

例えば、自販機が何台あったか、その中で一番左上にあった商品が何か

見たはずなのに憶えていない場合、わざわざ憶えないでおこうと思って憶えていない訳ではありません。

一方で憶えているものも、わざわざ憶えようとしたかというと、

ほとんどはそうではなく、何となく憶えていたと思います。

 

このように無意識で選んだものに注意を払ったり、払わないでいるという機能が

自分自身の対人関係に繋がる場合があります。

 

例えば、人に好かれていると感じるときはどのような時でしょうか。

人から笑顔を向けられた瞬間に感じるのであれば、より多くその瞬間を憶えていると、

自分は人から愛されていると感じます。

逆に、その瞬間を全て見落としていたり憶えていないと、自分は誰からも好かれていない

必要とされていない存在だと感じます。

 

自分の目に映る景色は、真実や事実のように思いますが、

それも多くの情報の中から、自分の無意識が選択した一部の情報から

映し出している景色です。

 

砂浜から夕焼けを見たときに、綺麗な景色に感動する人もいれば、

足元に落ちているゴミに注目し汚いと憤慨する方もいます。

 

自分自身はどのような事実に注目したいでしょうか。

注意を払いたいでしょうか。

 

良い部分だけを見ないといけない訳ではありませんが、

悪い部分だけを見て嘆く必要もありません。

 

自分自身が見たい景色を選べるように無意識に意識を向けてみてはどうでしょうか。

そうすると、今まで見えていた景色が色づいて見えて、

幸せな気持ちが感じられるかもしれません。

 

そのように感じた今日この頃です。

今日も良い日です。そのように思いながら外を歩いてみようと思います。