落ちた場所で咲き誇る

世の中、なかなか思い通りにはいきません。

色々な思惑や要因が絡み合い、色々な人と関わって

様々な事実が出てきます。

 

例えば、大学に合格したいと思い頑張ったとして、

勉強すればするほど、成績は伸びると思います。

 

ただ、同じ様に勉強を頑張る人が合格者の定員以上にいた場合、

どれだけ頑張ったか、どれだけ効率よく勉強したかによって

結果が変わってきます。

自分だけの望み、思いの通りには、上手くいきません。

 

では、その望み通りにいかないと全て無意味でしょうか。

挑戦する意味も無く、その先には絶望しかないのでしょうか。

 

そんな事はありません。

しっかりと意味はあり、取り組んだこと、経験したことは自分の人生の糧になります。

 

先日、ある素晴らしい言葉を思い出しました。

これは、数年前にある書家の方が書いていた言葉です。

それは、「落ちた場所で咲き誇る」です。

 

たんぽぽの綿毛のように風に流されて、何処に行き着くのかも分からないように、

人生は先が見え難いです。

ただ、何処に落ちようと、人は咲き誇ることができます。

例えば道端や、公園や、さらには道路の端のアスファルトの割れ目かもしれません。

 

どのような場所に落ちようと、今まで蓄えた栄養分があれば、

咲き誇ることができます。

その栄養分が、今までの挑戦や経験、そして挫折などです。

 

私たちは、風に乗りながら、又は逆らいながら、

色々な方向に行こうとします。

そして、自分では思いもよらない場所に落ちることがあります。

 

私も数年前にはカウンセラーをしている自分を想像すらしていませんでした。

しかし、過去のうつ病経験などが今に生きていて、

咲き誇れているかは分かりませんが、雑草のように踏まれても、

この場に存在し続けたいと思っています。

 

先は何処に行くかも分からず、将来の不安を感じるとは思います。

希望が叶えられず、絶望を感じているかもしれません。

しかし、その先の自分が行き着く場所で、

きっと咲き誇ることは出来ると思います。

 

落ちた場所で咲き誇る。

そうなる為に、水を得て、栄養を得て、太陽の光を求める作業を

一緒に手伝わせて頂きたいと考えています。