人は合理的には動けない

朝から非常にショックな事がありました。

何と眼鏡を踏み抜いてしまったのです。

 

寝ぼけた状態で、何故あんな所に眼鏡を置いたのか、

何故その後に何も考えずにあんな行動したのか、

何故もう少し考えなかったのか、

自分自身でも理解が出来ませんが、

眼鏡を踏み抜いた瞬間に頭が一瞬で真っ白になり、

その後、焦りと共に頭が冴えて後悔が襲ってきて、

すぐに眼鏡を直し始めました。

 

とは言っても、素手で直るものではないので、

手である程度の修正を行なった後に、今週か来週の空いた時間に眼鏡屋に持っていく予定です。

今は予備の眼鏡を使っていますが、

何とか修理できて欲しいと願っています。

 

さて、このような合理的ではない、後で後悔してしまうようなことを

やってしまうことは無いでしょうか。

私は寝ぼけていない時でもやってしまいます。

 

後々から考えると、非常に悔やんでしまいますが、

その時には何も考えずにやってしまうのです。

その度に思います。

人は合理的には動けない、矛盾した行動も取ってしまう感情の生き物なんだなと。

 

このブログでも書いたことはありますが、

経営学や経済学に関して、人は合理的に動くという考えに基づき、

色々な理論が生まれましたが、どうやら人はそうではないという事が分かり、

プロスペクト理論などの行動経済学という人の心理を取り入れた行動を含めた

経済学や経営学が入ってきています。

 

人は合理的に動く事は出来ません。

 

先日、部下との接し方で悩む方が来ました。

そこで、どれだけ叱っても部下の行動が直らない見放すべきかと悩んでいました。

 

合理的に考えるなら、それも一つの方法かもしれません。

一方で、叱れば行動が修正されるという考え方自体が合理的ではなく、

あくまでも経験則に従ったものであり、感情に基づく考え方です。

 

合理的に教育するのなら、相手が理解できるように行動を一から教え込む

叱ることによって行動が修正できないのであれば、そこに労力を費やさず、

誉めるなどの別の行動を取ることが求められます。

 

しかし部下が叱っても修正されないことに怒りを感じ、

叱ることに執着するという感情に沿って行動している上司も存在します。

 

人は合理的に動けません。

たくさんの矛盾を抱え、感情的に行動してしまう時が多いです。

そんな自分を責めることはせず、それらも含めて受け入れながら、

生活すると楽になるかもしれません。

 

そんな風にクライエントに思いながら、

自分も励ましている今日この頃です。

眼鏡を修理しにいかねば。