『死』を第一に考える

『死』とはどのように感じるでしょうか。

自分にとっては縁遠い言葉でしょうか。

それとも恐怖を感じるような怖い言葉でしょうか。

 

先日、あるお寺の住職とお話させて頂く事がありました。

その中で「生老病死」という言葉を教えて頂きました。

人が生きてから、避けては通れない苦労という事です。

そして、『死』は生まれたからには避けられないことです。

 

ただ、この話を聞きながら、一つの素晴らしい考え方を教えて頂きました。

それは、『死』を前提に考えるという事です。

 

今の世の中では、スマホで簡単にゲームをして、暇な時間を楽しむことができます。

SNSで気軽に多くの人と情報交換して、繋がる事ができます。

苦労せずとも、簡単に楽しめる事が多くあります。

そのような楽しいことも、『死』を前提に考えるのです。

 

お葬式の時に、家族だけの葬儀をするはずなのに、

生前にお世話になったという理由で、ご近所さんや付き合いのあった方が

沢山詰め掛けるお葬式があるそうです。

げげげの鬼太郎を描かれた水木しげる先生のお葬式は正に典型的でしょうか。

 

一方で、しっかりしたお葬式でもあまり人が来ないお葬式もあるそうです。

 

自分が死ぬときには、どちらの方がいいでしょうか。

 

例えば仕事をする際にも、お金を稼ぐ為に、人を陥れても良いと言う人がいます。

一方で人の為と思って頑張る人もいます。

人の為に働きながら、お金が手に入らず苦労する人がいたとした時に、どのように思うでしょうか。

 

もしかすると、賢くない働き方だと笑われるかもしれません。

しかしそのお葬式に、多くの人が助けて貰ったと参列してくれるのであれば、

病に臥せった時に、多くの人がお見舞いに来てくれるのであれば、

それはその方にとって、どんな生き方に感じるでしょうか。

苦労はしたけれども、良い人生だったと思うかもしれません。

 

『死』を意識しながら働くと、世のため、人のため、誰かの記憶に残るような、

誰かの生活を良くするように働きたいと思うかもしれません。

 

『死』を意識しながら遊ぶと、ずっとゲームをしたりSNSで話すだけではなく、

色々な体験をしたり、色々な旅行をしたり、さらにはNPO団体で地域を良くしたりと、

良い人生だったと思えるようにお手軽ではないけれども、

目一杯楽しめることを選択するかもしれません。

 

『死』を第一に考える。

非常に大きな気付きでした。

私も今日から、自分が『死』に近づいたときに、

人生を振り返って、良かったと思えるように、

『死』を第一に考えながら、一日一日を大切に生きていければと感じました。