プレッシャー

ストレスという概念を考えたセリエ・ハンスは、

程よいストレスが人生にスパイスを与えると仰っていました。

同じ様にプレッシャーも程よいプレッシャーは人のパフォーマンスを向上させると思いますが、

過負荷のプレッシャーは人を押し潰すように思います。

 

あるご相談者の中に、非常に大きなプレッシャーを感じている人がいました。

自分の仕事の成功か失敗かによって、多くの人に迷惑を掛けるかもしれないと考えているのです。

そのプレッシャーのせいで、大きなストレスを感じ、精神的に押し潰されそうでした。

 

そして、そのプレッシャーを与えている上司の方もいたのですが、

上司はそのようなプレッシャーを与えながらも、

特にその人に対するサポートはされていなかったのです。

 

本当に多くの人に迷惑を掛ける仕事なら、放置なんてされず、

上司や仲間からサポートがあると思います。

上司にとっては、その程度の仕事なのに、プレッシャーは安易に与えているのです。

発言することに労力はいらないので、考えずにプレッシャーを与えたのかもしれません。

 

多くの労働現場ではこのようなプレッシャーを与える場面があります。

必要なプレッシャーを必要なだけ与えるのであれば問題はないのかもしれません。

 

しかし、過度のプレッシャーを、乗り越えれば成長できるという安易な考えで、

もし乗り越えられなかった時に潰れてしまうかどうかという事までは考えず、

与えてしまう人が多いような気がします。

 

漫画の話にはなりますが、外科医が手術の現場に立つ際に、

ゲームを行なうような気持ちで手術をするそうです。

毎回毎回、自分にとって大切な人を手術するような気持ちで、

一日何時間も手術台に立つことは出来ないと書かれていました。

もしかすると、これは多くの方にとっての本音かもしれません。

 

例えば、料理で味が少し失敗すれば我が子を失うとすれば、

仕事のはんこが少しずれたり、かすれたら会社が倒産するとすれば、

子どもとのキャッチボールを上手く取れなかったら、子どもと二度と会えないとすれば、

そんなプレッシャーを背負いながら、必ず成功させなければと集中力を維持させる事は

誰にも出来ないと思います。

 

しかし往々にして職場の上司は、簡単に、

「君の双肩に会社の命運が掛かっている」「この事業は会社の将来を担っている」と言ってしまう方がいます。

もちろん軽い気持ちでお酒の場で簡単に言うぐらいないら良いかもしれません。

ただ、毎日言われてしまうと、気持ちが潰れてしまいますね。

そして、若手に会社の命運を掛ける前に、まず上司こそがそのプレッシャーを背負い、

会社の命運を担うべきではないのかなと私は考えてしまいます。

 

自分が相手にどのようなプレッシャーを与えているのか、

そのプレッシャーは相手にとって適度か、安易に与えていないか、

自分が背負っても乗り越えられるものか、プレッシャーを与えた後にきちんと経過観察が出来るか、

しっかりと考えながらプレッシャーを与えた方が、働く人の最高のパフォーマンスが出来ると思います。

 

プレッシャーは相手を潰すためではなく、成長させる為に、

期待している事を伝える為に与えていると思います。

その目的を忘れずに、キチンと適切なプレッシャーを与えて頂けばと思います。