理解

自分の事を理解してくれる人が欲しいと望むことはないでしょうか。

私は、ずっと誰か理解し、受け止めてくれる人が欲しいと

学生時代、青年時代感じていました。

今では、幸いにありのままの私の姿でいる事ができて、

受け止めてくれる人もいて、本当にありがたいと感じます。


理解してくれたように感じていたのに、

実は理解してくれていなかった、受け止めてくれなかったと感じて、

非常にショックを受けたと相談に来る方もいます。

理解してくれたと思った喜びがある分、

理解してくれていなかったと思うと、その落差で非常に裏切られた気持ちを感じてしまう場合が多いです。


中には、相手を信頼していた状況から、

相手に裏切られたと感じ、憎しみまで抱いてしまう事例もあります。


理解してくれる、理解してくれない、

言葉にすると簡単な表現ですが、実は深い事なのかもしれません。


私は、カウンセリングの中で、

いつも相手を理解した、相手の事が何でも分かったと思う事はありません。

話を聞かせて頂き、何故あなたがそのように悩んでいるのか、

苦しんでいるのかを少しずつ理解していくという事をさせて頂きます。

ですので、理解させて頂きたい、教えて欲しいと伝えさせて頂きます。


話の中で悩んでいる事、苦しんでいる事を聞かせて頂き、

こちらも同じ様な気持ちを味わうこともあります。

ですが、完全に理解できているとは思いません。

完璧に理解するということは出来ないと思っています。


人は人を理解したいと思いますし、理解されたいと思うと思います。

ただ、一方で本当に全てをさらけ出したり、生まれてから今までの事を細かいところも含めて

全てを伝える事ができないように、

相手の事を理解しきる事はできませんし、自分の事を本当に何でも理解しきるという事は、

不可能だと思います。


ただ、それは、人は理解しあえず孤独だという事ではありません。

分からないからこそ理解したい、理解して欲しいからこそ自分の事を伝える。

それを繰り返すことにより完璧に理解しあうのではなく、

理解しきってはいなくても相手を受け入れ信頼するという事に繋がるのだと思います。


理解という事は、非常に深いことです。それは出来る事ではありません。

だからこそ、相手との交流を大切にし、信用し、信頼関係を築くことに繋がるのではと思います。

そのような事をカウンセリングの中で、感じました。