「嘘」と「羽」

以前に進化の話をした事があります。

人は数千年の生きてきた中で、最も適した形に進化してきました。


随分と昔には、人は非常に強い力を持ち、

原始的な生活で石ヤリなどを使いマンモスを狩っていました。


今では石ヤリを渡されたとしても、絶対に出来ませんね。

それらの力は、道具が発達した現在では失われたものです。

一方で、数学などの知識や、キーボードを高速で打てるような

手先の器用さなどは非常に発達しました。

猿にキーボードの打ち方を教えても、高速では打つことは出来ません。


そして、同じように不安や怒りなどの感情は

今まで人にとって必要であったため、残り発達してきました。

不安があるから、様々な対策を考え、発展をしてきました。

怒りがあるからこそ、短期的な活力になり、行動し、

困難な壁にぶつかる勇気を与えてくれるときもあります。


では、「嘘」はどうでしょうか。

ある方が、「嘘」を付く事を嫌っており、他の方の「嘘」にも嫌悪感を示していました。

それが多少なら誰にでもあることかも知れません。

しかし、過剰に「嘘」を嫌い、他の人の「嘘」に対して怒りすら感じてしまう程でした。


この方は、人はどうして嘘を付くのか疑問に感じていたので、

それが人にとって必要だからと言うお話をさせて頂きました。

その際に「真実」を話し合う方が理想だし、理想的であった方が良いとの事でした。

ただ、理想であっても、人にとって適したモノで無ければ進化しないのです。


「空を飛びたい」という望みを持つ方は非常に多いと思います。

その為に、パラグライダーなどのスポーツが出来ています。

しかし、数千年掛かっても、人に「羽」は生えず、

空を飛べないままです。


しかし、「嘘」は嫌われていても、発達してきました。

お世辞、社交辞令、人と人が円滑に付き合う為にも発達しています。


出会い頭に「あなたの顔は私にとって好きではありません」とか言われると、

その人と仲良くなろうとはおもいませんね。

しかし、初めは社交辞令から入っても、そこから仲良くなり、

行為を抱く事はあると思います。


皆さんの周りにも、好ましくない事はあるかもしれません。

しかし、それらは今まで必要だからこそ、残り発達してきたのかもしれません。

初めから嫌うのではなく、どういう背景で残っているのだろうと考えると、

少し柔軟に考えられるかもしれませんね。


そんな風に考えた今日この頃です。