ありのままの自分を受け止めて欲しい

ありのままの自分を受け止めて欲しいという方がいらっしゃいました。


本当に何も偽らず、飾らず、自分の思うままに振舞い、それを全て受け入れてくれて、

それでも嫌がられることもなく、一生に渡って受け入れ続けてくれれば、

非常に幸せかもしれませんね。


それを職場で求め、望んでいるけれども、して貰えないと嘆かれている方がいらっしゃいました。

個性を認めるべきだ、ありのまま振舞うことを受け入れるべきだと、仰っていました。
それをしてくれない職場を責めていらっしゃるのです。


ありのままの姿でいる事と、他者を省みず自分の事だけ考えて立ち居振舞う事は
私は違うと考えています。

ありのままの姿でいる事は、自分が辛く感じる事や嫌だと感じる事を素直に表現し、
一方で嬉しい事や感謝したことも素直に表現する事。


他者の目線を気にせず、世間一般のこうあるべきに振り回され過ぎず、
自分が振る舞いたいと思う姿を振舞うこと、
そして最も大切な事は、その責任も自分で負うことが
ありのままの姿でいる事だと感じました。


一方で、過剰な個性尊重や他者を自分の事だけを考える行動は、
自分が辛いと感じる事や嫌だと感じる事を素直に表現する事は同じですが、

それを当たり前のように改善するべきと欲求をしてくるように思います。


この二つの違いは何でしょうか。


例えば、自分が嫌だと感じる事を嫌だと表現した際に、
相手があなたに嫌悪感を抱いたとします。


その際に、ありのままの姿でいる事ができる方は、
それも相手のありのままだと受け止める事ができると思います。
その上で相手と付き合いたければ付き合い、
離れたければ避け、そこでのデメリットを負うことは理解されています。


一方で他者を省みず自分の事だけを考える方は、
自分のありのままの振る舞いで相手が嫌な表現をした際に、差別を受けている、
迫害されていると感じる方がいます。
自分はありのままいたいが、相手のありのままは許容できず、
そこで起こることの責任も自分ではない社会などの誰かや何かが負うべきと考える方もいます。


自分がありのまま過ごしたい、受け入れて欲しいと思うときには、
まず、相手のありのままを受け入れられるかを考え、
100%受け入れるではなく、どれぐらいまでなら受け入れられるか、
自分も表現していいと思うのか、相手に対して気遣いの心も忘れずに
自分を出していくと丁度いいかもしれません。


私の立ち居振る舞いも見直そうと思った今日この頃です。