「最善を探さない」という最善

矛盾したタイトルを書きました。

これを見て、すぐにどういう事を書こうとしているのか分かる方の洞察力は素晴らしいと思います。


これは、先日、来た相談者とのお話の中で感じた事です。
最近の若い方に多いと、何かで見た事がありますが、
現在の若い方は、すぐに答えを探したり、最善を見つけようとされるそうです。


間違えないように、無駄が無いように、すぐに答えを聞き、
失敗しないように最善策を探そうとするのです。


この思考を持つ事は大切ですが、何でも過ぎると駄目になってしまいます。
実際に、相談に来た方が駄目になってしまっている方でした。


この方は、自分にとって最善は何か、どのように行動する事が正解かを探していました。
「これでいいでしょうか?」「無駄になりませんか?」という質問を幾度もされ、
失敗にも意味があるというお話になっても、
「どれだけ失敗する事がいいことでしょうか。」や
「失敗しても学べるかもしれませんが、失敗しない方がいいですよね」と仰り、
最善の方法を探し回っている方でした。


そして、その結果、期限が決まっている事に対しても、
どのようにすれば最善か、これが合っているかと考え続けて、
結果的に何も出来ないそうです。


失敗したくない方かとも思いましたが、
失敗してみようという課題に対しては、すぐにこなしていました。
ただ、やはりどうすれば最も良いという方法をずっと探していました。


最善を探して、行動できず、結果的に失敗をしてしまうのであれば、
最善を探さずに、とにかく行動して、何かしらの結果を生み、次に活かせる物を見付ける事が、
最善に近づく方法ではないのかなとこの方と相談していながら考えました。


まだこの方の中では腑に落ちていません。

まだまだ私が未熟で、この方の心の中に引っかかっている何かを見付ける事が
出来ていないだけかもしれませんが、

今後もご相談を通して、この方が最も生きやすい方法は何かを見つけていく事になると思います。


ただ、カウンセリングの中にも最善や正解は無いと考え、
向き合っていきながらお話をしていきたいと考えます。
失敗しない方法ばかりを選ぶのは非常に難しいですし、失敗したからこそ成功できる事もあると思います。
常に最善を探す気持ちは持ちながら、あえて最善は探さず一歩ずつ行動していこうと思います。