変化する事への苛立ち

最近、使用している電子機器の更新があり、
使い勝手の変化に非常に悩まされてしまっています。


随分前から騙し騙し使用していたのですが、
さすがに何年も使い続ける事が出来ず、新しくしました。

そうすると、便利な点もあるのでしょうが、
今まで感じていた便利な点、例えば手軽さや分かりやすさが損なわれ、
使いにくかったり、便利な機能が増えた分、すぐに使うという事ができず、

今までの使い方と同じ様に使えず、苛立つ事が起こってしまいました。


こんな事で苛立ちを覚えてしまって、カウンセリングに万が一にでも
支障をきたしてはいけないと考えており、極力考えないようにしていますが、
頻繁に使う機械の為、どうしても僅かな違和感を頻繁に味わってしまいます。


もし、私が以前からこの機械を使っておらず、
初めて、この機械を使っていたなら、このような気持ちを味わう事は無かったと思います。
今まで使い続けて、使い慣れてしまって、当たり前のようになってしまっているからこそ、
今回の変化に苛立ちを覚えてしまっているのです。


これは、何も機械にだけ起こる事でもなく、ましてや私だけに起こる事でもありません。

例えば、ある方は、年老いてしまい、体が今までのように動かなくなる事に、
苛立ちを覚えてしまう事もあります。


自分のご家族が、病気や衰え、認知症などで、今まで通りの生活ができなくなってしまう事に、
苛立ちを感じて、感情をぶつけてしまう方もいます。


そして、進学や仕事の異動、別居などの家族関係の変化や、
定年退職により今まで家にいなかった人が家に居続けるなどの、
今まで当たり前としていた事が、突然変化すると、そこに様々な葛藤や苛立ちを感じる方が多くいます。


私が感じている事も、そのようなモノの中で、些細な一つの変化なのでしょう。
人の人生は、変化が無い、という事はありえません。
絶えず、何か変化し続けています。
それは、目に見えない、気付かない小さな変化かもしれませんし、
はっきりと認識できる大きな変化かもしれません。


そのような変化にどのように対応できるかが、人生において大切なことであり、
それらをあるがままで受け入れ、流れに逆らうことなく、かといって諦める事無く、対応できれば、
楽に生きる事ができる人生なのだと言えるのではないかと感じております。
ですので、私も苛立つことはありますが、現在の変化に文句を言うのではなく、
積極的に対応しようと考える今日この頃です。