立ち止まって見るという事

この世の中は、循環しながら成り立っていると思います。

水は、雲から雨として山や森に落ち、海に流れ、
そこから蒸発して、また雲になります。
循環しています。

食物連鎖では、一番下が微生物で上に人間がいますが、
その人間も死んで、土に埋められたら微生物が分解します。
全ての物は循環しています。

ただ、最近はこの循環の輪を崩しているように感じます。
崩れているのではなく、崩しているのです。
誰かというと、私たち人間です。

都市中心部では火葬が中心となり、土葬が難しくなっています。
土に還らなくなってきています。


今朝、電車に乗っていると新刊本の宣伝がありました。
これを読めば、人生成功します!FXで勝てます!
という本が並んでいました。

循環という視点で見ると、FXで何億円儲けるという事は、
同じように何億円分、損した人がいるのです。

人生の成功も、年収UP・優雅な生活という書き方をしていたので、
同じように、それだけ一人が楽になるという事は、
何処かの誰かが苦労しているかもしれません。

例えば、コンサルティング会社で収入を得て、
その収入源が大企業からだとします。

一見すると、コンサルティングの結果、大企業の利益が増えたので、
Win-Winの関係に見えますが、
もしかするとその提案がコスト削減で、中国や東南アジアの地域での
人を物として扱った生産方法に繋がっているかもしれません。

とすると、そこで発生した利益は、循環という流れで見た時に、
上手く回っているのでしょうか、それとも滞っているのでしょうか。

 

 

日本の大阪では大量のゴミが毎日出ます。
そのゴミを大阪湾に埋めますが、その埋立地はどれだけ作っても足りないようです。

ゴミが溜まった埋立地は、コンクリートを流し込み、固めてしまいます。
微生物も入れない循環の輪から完全に外れています。

そのゴミは、元々、数億年かけて地球が作っていた資源です。
例えば石油は数億年掛けて出来上がりましたが、
あと数十年で無くなるそうです。
自分たちの欲求を満たすために、未来の資源まで消費し尽すのです。
それも、たまたま自分たちの足元にあったという理由だけです。

国は成長を前提として、栄えていますが、
そもそも、この前提自体が正しい事なんでしょうか。

今の常識、今までの常識は、実は長い視点で見ればとてもイビツな常識かもしれません。

100年後、自分たちの子孫に
『先祖のせいで私たちは動物もいない、植物もいない、
 水も無い所で暮らさないといけない。
 こうなるまで、気付かなかった酷い奴らだ!』
そんな風に言われないように、今の私たちの生活を考える時期かもしれません。

 

忙しい生活に追われていると自分たちの身の回りが
どのように変化しているか、気付きにくい物です。
 

 

あまりに、ゆっくり変化する物は、人は気付けないのです。

少し立ち止まり、
今の自分・私たちの生活を見直すことも大切かもしれないと感じた今日この頃です。