全ての原因は本当に自分か?

少し前に全ての物事は自分に原因があるという考え方には賛成という意見を伝えました。
しかし、例外もあると私が考えている事を伝えないと誤解が生まれる可能性があると思い、
再度、この事を記載させて頂きます。

 

前回に書いたように、様々な事実が起こった際に、その解釈の仕方で、
良く捉えることも、悪く捉えることもできます。

 

さらには、自分が原因となり悪いことが起こる事もあります。
例えば、職場などで朝に挨拶をしなかったとします。

周りの人は挨拶をしてくるのに、自分は挨拶をしない。

そのようなことを繰り返していくと、周りの人もその人に対して悪い印象を抱くようになり、
仕事にも支障がきたしてきます。

 

その結果、職場で厄介者のように扱われ始め、
職場でいじめに遭っていますと相談に来た方もいます。

 

この方は、たかが挨拶をしなかっただけで、いじめられるのは納得がいかないと仰っていましたが、
しかし、周りの方から見れば挨拶をしなかっただけではなく、
職場のコミュニケーションを拒否する人に見られてしまわれていたのです。

 

このように、気付かない内に自分が原因を作る事もあります。

 

他には、無意識に原因を作り出している事もあります。

例えば、自分の嫌な事を相手に投影してしまって、人間関係がぎくしゃくするという事もあります。

 

では、逆に自分が原因では無い事はなんでしょうか。

例えば、学校での「いじめ」。

 

閉鎖した空間で、家庭でのストレスを学校で発散する為に、ターゲットを決めて、
いじめが発生する事があります。

この時に、ターゲットにされた学生は、何か自分に原因があるのかというと、
何の原因も無いと私は思います。

 

その為、いじめに遭っている最中に、あなたに原因があるとは絶対に思いませんし、
伝える事もありません。

 

ただ、そのいじめられる空間から離れた方には、いじめに意味はあったかもしれないと伝えます。
例えば、人の痛みが分かり優しくする事が出来るようになったり、
同じようにいじめられて傷付いている方の気持ちを理解し、手を差し伸べる事ができるようになります。

 

さらに原因論で考えると、「いじめ」という問題には、学校の問題や家庭の問題だけではなく、
それを取り巻く社会、さらには子供と関わっていない大人たちにも原因があると私は思います。

ですので、子供がいない私にも「いじめ」の原因が間接的にあるのです。

 

例えば、家庭の問題、夫婦喧嘩、地域に住む人たちの支え合いの姿勢を、
私がカウンセリングやセミナーを通して、問題を解消したり、
支え合いの姿勢を作れているならば、「いじめ」の遠因が解消されるかもしれません。

 

そのように考えると、私達にも何かしらの原因があると思います。
そして、当事者だからといって原因が無い場合もあると思います。

本当に、全ての原因が自分か?自分で自分を責めすぎる必要はありません。

ただ、その時期が過ぎた時には、その経験から何を学び取り感じ取れたかを考えていけば、
良いと思います。