私は一年の中で、10月が何となく好きです。
この何となく好きというのは、幼い頃に出雲大社に旅行に出掛けた際に、
出雲大社が好きになりました。
その後、国語の授業で旧暦を学んだ際に、出雲地方を除く場所では、
旧暦を神無月と言い、出雲大社では神在月(神有月)と呼ばれていると聞きました。
その話が非常に好きで、何となく10月を好きになったのです。
ただ、先日知った事ですが、この語源は明確には無く、後付だと言う説があると知りました。
長年信じていた事が変わった瞬間で非常に驚きました。
そして全く別の話ですが、恐竜のティラノサウルスの姿を思い浮かべて下さい。
どんな姿でしょうか?ティラノサウルスの皮膚はワニの皮膚のように
ゴツゴツしているイメージがありませんか?
最近の説では、ダチョウのように羽が生えていたという説があるそうです。
これまた驚きました。
私たちが信じている過去の歴史や、過去の生き物、過去から伝わっている話は、
長年の研究の成果で判明してきました。
ただ、新たな事実が見付かる度に、過去の真実は変わっていきます。
そして過去は誰も証明しきる事が出来ない為、
簡単に加工し、都合の良いように捻じ曲げる事ができます。
それは大きな歴史問題でも可能なことであり、
小さな家庭の中の歴史でも同じです。
よくある笑い話で、お母さんはお父さんにプロポーズされ、しょうがないから結婚してあげたと言い、
お父さんはお母さんがプロポーズしてきて、可哀想だから受けてあげたと言うなんて話は
聞いたことありませんか?
多分、両親にプロポーズの時の話を聞くと、随分捻じ曲げられた二つの過去の話を聞けると思います。
そして、これは実際によくある話ですが、
非常に立派で真面目に子供生活を過ごし、学校の評価も良かったのですが、
両親が認めてくれる事は無く、自分で自分に自信を持てずに育った方もいます。
事実は非常に良い子なのに、捻じ曲げられた記憶を埋め込まれ、自分は何にも無い子だったと言うのです。
ただ、歴史は変わります。一つ一つ、自分の過去を思い出していき、
どうだったかを探っていけば、自分は良い子だったという真実の過去に気付ける日もきます。
歴史は変わります。過去の記憶も新たな真実を見つければ変わる事です。
過去に囚われ過ぎず、前を向いて歩き、過去がしんどいようであれば、
新たな事実を見付けていけばいいと思います。
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