円環的因果律②

前回、円環的因果律の話を書いて、間も無く、
さらに考えさせられる事がありました。

 

キャリアカウンセリングに関わる方から、
今の若者は言われた事はやるけれど、主体的に考えて動かない人が多い。

ただ、初めは意味を伝えてあげて抵抗感を少なくしてから主体的に動くような
仕組みを作ると、成長し主体的に考えて動けるようになるという
お話を聞きました。

 

その後に別の方が、そこまで1から10までしてあげる必要があるのか、
初めにそのように行なうと、次からも1から10までしてあげる必要が出てくる。
自分たちは、全部考えて動いていた。してあげる必要は無い。
という意見がありました。

 

私は、この二つとも、確かにそれぞれ納得できる部分があると思います。
ただ、両者は同じ若者という言葉を使いながらも別々の方を想定していると思います。

 

前者の方は、現在、考えて自主的に動く力を持たない、もしくは持っていても発揮の仕方を
知らない方を想定していると思います。

一方、後者の方は、自分自身の若い頃を想定し、元々自主的に動く力がある事を前提に考えており、
それをただ自分の意思で発揮していない人を想定していると思います。

 

そして、前者の方は、想定しているような方々、主体的に考えて動かない方、動けない方に対して、
主体的に動いて貰えるように、何らかの支援をしたいと考えていますが、
後者の方は、どちらかというと本人の自己責任論で考えているように思いました。

この若者が自主的に動かなかった結果、希望するキャリアを経験できなくても、
本人の責任だからしょうがないと考えているのです。

 

両者の考え方とも、納得する部分はあります。ただ、一方で、前回のブログに書いた
少子化問題で考えると、自己責任論という悠長な事は言えなくなると思います。

 

今後の日本は子供が少なくなり、高齢者が増えていき、現役世代2人で高齢者1人を
支える事になるという例は聞いた事があります。現在は4人で1人を支えています。

では、4人で1人を支える事すら苦しいと言って子供を作らないのに、
その倍の負担になった際に現在と同じだけ子供を作ると思いますか?

私は難しいと思います。

 

すると、現役世代やその子供たちは私たちよりも生きる力を持ち優秀になって貰う必要があり、
1人で何人も平気で支えるような方になって貰う必要があり、
そのような現役世代を1人でも多く育って貰う必要があります。

その責任は現在の大人や高齢者にあります。この際に自己責任論で教育を語るという事は、
将来自分たちを支える人たちが居なくなっても、文句を言えません。

それは、自分が作った原因にもなるからです。円環的因果律ですね。

 

私は、自分が自分の責任で、年金や社会情勢、通貨変動などが起こっても文句を言えず、
耐え抜けるという覚悟がある方であれば自己責任論も言えるのかなと思います。
現役世代が減っていくという事は国力も下がり年金も安定せず、通貨的にも弱くなり、
輸出も輸入も滞るという事に繋がります。

 

さて、誰かが原因だと言えるでしょうか。

今日は、随分と社会的な問題の話になってしまいましたが、
非常に大きな目で見ると、現在起きている問題の何処かの原因に私たちは関係し、
どこかでその結果を引き受けていると思います。

 

自分ひとりが変わっても、どうにもならないという風には考えず、
自分も原因の一つなのだから、自分が変わったら、今後何かが変わるかもしれないと考え、
一人ひとりが前向きに取り組むと、社会の問題も変化し、
それが自分自身の身近に起こっている問題も変化していくかもしれません。

 

常に自分も円環の中にいると考え、
取り組む事が大切かなと後者の方の話を聞いて感じた今日この頃です。