意識的な努力、無意識な努力

特に大変な努力をしなくても、
凄い事を簡単に出来る人がいます。

 

例えば営業で、他の人では到底追いつけない様な売り上げを達成する方や、
運動神経が抜群で、初めての種目でも成績を残せる方、
さらには勉強でも、特に必死に勉強をしていないにも関わらず簡単に試験を突破する方。

周りから見ると非常に羨ましいと思うような方がいます。

 

ただ、最近、少し気付きました。
それは、本人は無意識で努力を行っているだけで、
決して何にもやっていない訳ではない。
ただ、無意識なので決して苦労していない為、
意識的な努力が必要な人に取っては羨ましく思えてしまうのでは、ないかと。

 

スポーツが出来る人は、赤ちゃんの頃から駆けずり回り、
あちこちにぶつかりながら運動していたのだと思います。

 

その為、小さい頃から運動する事は、当たり前の頃で、
外で遊び回り、運動神経を身に付けていき、
初めてのスポーツでも特に意識せずに、ある程度できてしまい、
才能があると周りから思われるのではないかと思われるのではないかと考えます。

 

家庭で活発に議論をするような環境で育った赤ちゃんは、
話す事や聞く事に、無意識的に力を身に付けていき、
大人になってからも特に苦労することなく議論や、
論理的に喋る事ができてしまう。

 

スポーツが無意識で出来る人は、運動には困らないが議論や論理的な説得が苦手で、
そのような人を羨ましく思えてしまう。
論理的に考える事が無意識でできる人は、議論が得意ですが、
運動が苦手でスポーツできる人を羨ましく思えてしまう。
そんな状況があるのではと思いました。

 

これは、生まれる前の胎児の状態から無意識の努力が始まっているので、
生まれた瞬間から理解が早かったりする赤ちゃんもいるとは思います。

 

もし、この考えが当たっているのであれば、
人は誰しも努力をしています。

それを無意識的に行っているか、それとも意識して頑張って努力をしているかの違いです。

 

努力を馬鹿にせず、毎日おこなっていくと、自分が羨ましいと思う存在に近づけるかもしれません。
それを信じて、私もコツコツ努力をしてみようかと思います。