言わずに察する

京都に旅行に行き、知人の家を訪ねた時に、
「お茶漬けでもどうですか」と言われたら、
皆さんはどうされますか?
頂戴しますか?

 

日本では、言わずに察する事を美徳とされています。
言葉の行間から相手の思いを読み取り、心の機微を感じ、
相手を理解するのです。

 

ここで、言わないけど思っている事を察する事が出来ない人を、
鈍感と言われてしまうのです。
そして、分からないから聞く事や、分からない人に自分の思いを全て
説明する事を「野暮」と思われていたそうです。

 

女性と公園デートをしている時に、
「お花を摘んできます」と言われたら、
どうしますか?
公園の花は勝手に摘んではいけないと注意しますか?

 

これは、日本だけではなく、海外でも同じです。
例えば、映画「プラダを着た悪魔」を見て頂くと、分かります。


悪魔の様な社長と、その社長の秘書にする事になった女性の話ですが、
社長の言う事に対応している内は、まだまだ半人前で、
社長が言う前に気付いて行動する事と、評価されています。


良く気付く人は素晴らしいとされ、
気付かず、言われないと分からない人は半人前とされているようです。
「言わずに察する」事は、世界共通で嬉しい事なんですね。

 

ただ、一方で、ある弊害も起こっています。
それは、「言わずに察する」事が出来ず、怒られ、嫌がられ、
落ち込んでしまう方もいるのです。


「相手が何を考えているか分からない」
「言われる前に気付けと怒られました。どうすれば気付ける様になるんでしょう」
「常に気を付けないといけなくて、仕事をしていると落ち着かなくて、
   ある日、会社に行けなくなりました。」


私は、こういう方の気持ちを痛い程、分かります。
それは、私も気付けない人だからです。
それが原因で、随分と悩み、人付き合いから逃げた事もあるからです。


社会人の時に、
理解する為に質問をすると「何でも聞くな」と怒られます。
では、逆に質問を控えると「理解しているのか?」
「自分勝手な理解するな?」と怒られます。


それこそ、混乱して何も出来なくなってしまうと、
ややこしく考えるな、と言われます。


質問してはいけないが、質問をしてもいけない。
そして、この問題で悩んでもいけなくて、
先輩が満足できる答えを出さなくてはいけない。


これを、何の違和感もなく他の方は皆、出来ていると感じて、
自分だけが出来なくて、非常に情けなくなり、
自分はダメな人間だ、社会人にはなれないと、
悩んでいた時があります。
一時期は、人の考えなんて読める訳が無いと思って諦めていた時もありました。

 

では、今はどのように考えているのでしょうか。


今はバランスだと思っています。
多分、完璧に「言わずに察する」事が出来る人は、ごく稀だと思います。


多くの人は、親しい人、又はお客さんなどの特定の人に対して、特定の時だけに、
相手の思考パターンの中で喜ぶ事をしたり、
一般的に喜びそうな事をしているだけです。


そんな人が社会に沢山いれば、人間関係で悩む人はいません。
だって周りが察知し、手助けしてくれるはずですから。


そういう人が、居ないから、皆さん人間関係で悩んでしまうのです。
周りが察知出来ないから、自殺が年間3万人から減らないのです。

 

だからと言って、出来ないと諦める事もありません。
自分ができる範囲で、周りの人に気遣いをおこなう。
それだけで良いと思うのです。


何を思って、この言葉を言ってくれたのかな。
自分に何かを気付いて欲しいと思って、言ってくれたとしたら、どういう思いがあるのかな。


そんな風に考えると、厳しい言葉も、自分の中で和らぐ事もあり、
自分の成長に繋がるようになります。


京都でお茶漬けを勧められたら、「そろそろ帰って欲しいです」という意味らしく、
「お花を摘みにいってきます」と言われたら、「トイレに行ってきます」という意味らしいです。


これを、聞いた事も無いのに、察しろというのは難しいですね。
こんな「言ってもいない事に関して察する」という無茶な事を、社会ではよく聴きます。


あまりに自分にハードルが高ければ、
まずは、自分のできる範囲で、やっていきましょう。