分かっていた事が分からなくなる。

下の絵を見て下さい。


(○)(○)(○)(○)(○)

 


この絵を見た時に、何となく(○)を1セットで見ませんでしたか。
それとも、『 ( 』と『 ○ 』と『 ) 』が並んでいると思いましたか?


他にも、
1 2 3 4 ○ 6 7 8 9
という数字があって、 ○ の中に数字を入れるとします。


真っ先に 5 が浮かび上がりませんか。


もし、答えが 2 とかなら、何となく気持ち悪いですね。

 

人には、物事をワンセットで見ようとする法則があります。
これをゲシュタルトの法則と言います。


何となく123456789とワンセットで考えているので、
このセットが崩れると、不快に感じます。

 

一番上の絵でも、  (○)(○)(○)(○()○)  と並ぶと、
何となく違和感を感じるようになります。

 

この様に、ワンセットが崩れて違和感や不快感を感じる事を
「ゲシュタルトの崩壊」と言います。


皆さんも知っている漢字である「借」。
これをひたすら書き続けたり、見続けると、
『「借」ってこんな字だったっけ?』という疑問を感じたり、
気持ち悪くなってきます。


このように何かに集中しすぎても、
ゲシュタルトの崩壊は起こります。

 

さて、何気なく生きている時に、
ふと、「自分って何だろう」「何のために生きているんだろう」と思う時はありませんか?


家族がいて、友達がいて、仕事をしている自分がいる。
そういう周りを含めてワンセットの様に感じながら、
何となく生きていたのに、
突然、自分に焦点があたり、「今まで自分は何をして生きてきたのだろう」と
考え出すと止まらなくなり、自分が分からなくなってしまう。

 

最近、この様な方に出会う機会があり、
もしかすると一種のゲシュタルトの崩壊が起こっているかもしれないと
感じた時がありました。

 

最近は、「自分らしい生き方」「自分とは何か」を
考える風潮にあるように感じます。
それが逆に「自分」を見続け、考え続けて、
ゲシュタルトの崩壊に繋がっているように感じます。

 

変な言い方ですが、考え過ぎると混乱します。
1 2 3 4 ○ 6 7 8 9 という数字の ○ には意味や法則があると思い込むと
違った場合に混乱し過ぎます。


時には肩の力を抜いて、「今、生きている。これが自分だ」と開き直ったり、
自分以外にも目を向けて気分転換したり、
○ の中に 2 が入っていても、「無意味な事もあるさ」と考える事で、
頭もリラックスできます。

 

「考える」事を賞賛する世の中ですが、
考え過ぎて混乱すると意味が無くなります。
頭を休めていきましょう!