言わないと分からない時代

今日、電車に乗った際に、8人掛けの座席がありました。

 

ただ、その座席には7人の方が微妙に隙間を作って座り、
もう一人乗る事が出来ない様になっていました。
これは、都会の方はよく目にする光景かもしれません。


私はその隙間の中で、一番大きな隙間の前に立ちましたが、
座っている方は微動だにしません。


そこで、私は「すみません。座らせて貰ってもいいでしょうか?」
と声を掛けると、ようやく皆さん少しずつ隙間を埋めて頂き、
一人が座れるスペースを作って下さいました。

 

 

昔の日本には、言わずとも察するという風土があったそうです。
暗黙の了解、心の機微を読む、という言葉に残っていますね。


京都の方には、「お茶漬けでも食べて行きますか?」という
言葉があるそうです。
これは、本当にお茶漬けを食べて行きなさいという意味ではなく、
「そろそろ帰ったらどうですか?」という意味だそうです。
分かりませんよね。ただ、分からずに本当にお茶漬けを食べると、
何て図々しい人だと思われるのです。

 

京都の例は難しいですが、例えば仕事を教えている時に、
新人がミスをした際、「お前は馬鹿か!帰れ!」と叱る人がいます。
ただ、新人が本当に帰ると、ビックリするそうです。


この時、仕事を教える人の中には「仕事は最後までやり遂げる物。
帰れと言われても帰るなんて、何て情けない」という思いがあるでしょう。


しかし、新人はこう思っているかもしれません。
「仕事を教えてくれる人の言う事は聞かないといけない。
   帰れと言われたから、帰らないといけない」


お互いの言い分は分かりますが、面白い食い違いですね。
仕事を教える人は、「自分の言う事は聞け、ただ叱った時に言う言葉は聞くな、

反骨精神を見せろ」と考えています。
新人は「言う事はきちんと聞かないといけない。ただ、分からない事や

何が分からないのか分からない時は、なんとなく質問しにくいだけ」と考えています。


この2つの考え方を並べると、分かりやすいのは新人で、
仕事を教える人の方が無茶を言っている気がしますが、
今までは常識という考え方の中に入っていました。
だから、言わなくても分かるだろう、と多くの人は考えています。

 

さて、ここで思う事は、今の時代は、「はっきり言わないと分からない時代」になっているのだと思います。
明文化にちなんで、明言化の時代に入っているのです。


人の動きをみて、何を考えているか察する事が出来ない人が増えました。

これは若い人だけでは無く、50代、60代の方も自分が疲れて、人を見る余裕が無くなっているのです。
電車の中で、非常にスペースを取って座る人を見てみて下さい。
全員が10代・20代ではありません。

 


分かりにくい言葉は理解されなくなりました。
それは常識がここ数年で、大きく変わってきているのです。
Aさんが作った物を、Bさんが作ったら、Bさんが非難されるのが、昔でした。


今は、Bさんがコピーした時に著作権を申請したら、
AさんがBさんの物を勝手にコピーした事になります。
きっちりと、「私が作った物です」と先に言わないと、
自己責任を問われる常識に変わったのです。


他にはこの100年で一気に時代は進歩しました。
50年前に国際化と言ってもピンときていませんよね。
5年前にパソコンなんて要らない時代、携帯(スマートフォン)で十分と言っていたら、
笑われていました。
今はこれらが常識です。


さて、時代は変わったので、これからは自分のして欲しい事、
そしてしてあげたい事は、全て明言が必要かもしれません。

 

怒る時には、「さっきのお前の行動は絶対にダメだぞ!もう帰れ!
ただ、帰れと言ったが、帰るな!

帰れと言ったのは、それぐらいに反省して欲しいと言う事だ!
お前自身に反省し、考え、成長して欲しいという事だ!」


怒る事は大変だし、エネルギーを使うと言われていますが、
今後はさらにエネルギーを使いますね。
ただ、こんな風に怒る上司は、横でみていると凄く温かい人の
様に感じます。


これからの明言化の時代、言えば分かって下さる方も多いです。
言い方さえ気を付ければ、皆さん心は優しい方です。
手助けして下さる方が多いです。


明言化の時代、はっきり自分のしたい事、相手にしてあげたい事を
考えて、口に出してみましょうね。