悲劇を好み、悲劇に浸る

私は新聞が好きです。
目の前にあると、一通り記事には目を通します。
ただ、今は敢えて新聞は購読せず、
図書館に行っても読まない様にしています。


今日、電車に乗ると隣の人が新聞を読んでいました。
一面記事は、「闇サイト」「いじめ」「大雨による災害」という
内容が並び、明るい話題は目に入りませんでした。


これらの記事が悪いと言っているのではなく、
これらの悲劇的な記事を「話題になっている」「興味を惹く」という
理由で大きく扱われすぎている事に、違和感を感じます。

 

私は、1983年生まれで、物心付く頃にはバブルが弾けました。
その後は、「空白の10年間」や「日本崩壊」という言葉を
ニュースや新聞で見聞きしながら成長し、
そのまま上の世代からは、最近の若者には覇気が無いと言われました。


無茶苦茶な話です。
子育てに例えて言うと「お前はダメだ」「この先にロクな将来は無い」
「今の時代は無駄だ」「昔は良かったよ、お前はかわいそうだ」
こんな事を子供に言いながら育てて、

その子が大きくなった時にヤル気に溢れていないと、
「お前はどうしてそんなに無気力なんだ。お前は駄目だな」
と言っている様なものです。


この様に言われて育った子供の多くは無気力になるでしょう。
ヤル気に溢れた言葉を聞かずに育っている訳です。
無気力にならない人の方が珍しくなります。


昨年の大震災の際に、被災地の映像を繰り返し放送し、
それを見続けた人が、しんどくなりました。
これと同じ事を刺激を和らげて10年以上も同じ様に
ニュースや記事として取り上げているのです。
そして、今日の新聞記事でも同じ様に悲劇的な記事が載っていました。

 

これは、ただの私自身の考えですが、
「いじめ」問題を取り上げるなら、
「もっと大人と子供の連携を」・「心の教育に力を」みたいな
悲劇を取り上げつつ、前向きな提言が出来ないかと思います。


大雨による災害を取り上げるなら、
「自然を大切にし、森を育て、土砂崩れの予防を」という
事を考えていく必要があると思います。

 

人には悲劇を好み、悲劇を浸る部分があります。
ただ、行過ぎると悲劇から抜け出す力もなくなります。


悲劇も程々に、自分が嬉しくなりヤル気が出るニュースを
見ていきませんか?