環境団体とお付き合いさせて頂く様になって、
早一年が経ちました。
まだまだ知識不足・勉強不足ですが、
少しずつ自然に対する姿勢が変わってきているように感じます。
そんな今日、お昼ご飯を食べに行く為、
道を歩いていると、「ピヨピヨ」と可愛い鳴き声が聞こえてきます。
見てみると、歩道の真ん中に、スズメの雛が座っていました。
近づいても全く飛ぶ気配もありません。
目の前にスズメの雛がいるのですが、
初めて近くで見ると、目が開いていません。
ただ、無性に可愛かったです。
怪我をしているのか、目が悪くて見えないのか、
それとも小さすぎて、目が開いていないだけなのか、
私には全く分かりません。
ただ、道の真ん中は危ないので抱きかかえようと手を伸ばしました。
しかし、その時にある言葉を思い出したのです。
「ツバメの雛が巣から落ちている時に、
それを拾って巣に戻しても、親はまた雛を落とします。
理由は、拾った時に雛に人間の匂いが移り、
その匂いを嫌うからです。」
ツバメとスズメが一緒かは分かりません。
ただ、このスズメを直接触っていいのかは分からなかったので、
ポケットティッシュを取り出し、
下からそっと持ち上げ、土と木がある所に寄せました。
猫や犬が食べてしまうのは、自然の摂理のように思ったのですが、
人間の自転車に轢かれて死ぬのは、いたたまれないと思ったのです。
そんな事を感じながら、昼食後にスズメの雛を置いた場所を覗くと、
もういませんでした。
どうなったのでしょうか。
私の良かれと思った「善意」も良い事か、どうかは分かりません。
保護した方が良かったかもしれないし、
そもそも何もしなかった方がいいかもしれません。
私も含めて、ついつい目の前に悲しんでる子がいると助けたくなります。
そんな「善意」はその時は良くても、後々は良い事じゃない場合もあります。
一時的に助けた雛も、親鳥からはみ出されてしまうかもしれません。
そもそも、その雛は猫に食べられて、一匹の猫の命を救った存在かもしれません。
可哀想という「善意」だけで連れて帰る事で、海を渡れないツバメになるかもしません。
目の前で転んだ子供は、泣きながらも自分で立つ事で、我慢を覚えるかもしれません。
それを助ける事で、我慢を学ぶ機会を取り上げてしまうかもしれません。
自然を学んで感じた事は、綺麗という理由で植えた花が
そこにあった生態系のバランスを崩す事もあります。
「善意」だけで動くのではなく、ちゃんと考えて、
自然の流れを尊重する事が大切だという事です。
今日は、小さなスズメの雛に学ぶ機会を頂きました。
ありがとうございます。
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