「退屈な日常」と「充実した日常」

先日、このような相談者がきました。

「こんな事を言うと怒られるかもしれませんが、

 平穏な生活が退屈でしょうがないのです。

 主人が働いているので生活の心配はありません。

 子供も手が掛かりません。

 退屈過ぎて、おかしくなりそうです。」

 

お話を伺った所、特に趣味は無く、

主婦友達とお茶に行くそうですが、

世間話にも飽きてしまい、何か刺激が欲しいそうです。

 

カウンセリングに来られる方の多くは、

悩みや辛さ、苦しみを抱える方なので、

この方の悩みは贅沢な悩みかもしれません。

 

ただ、この人にとっては重大な悩みです。

死ぬ間際に、楽しくない人生だったと思って死ぬのと、

充実した人生だったと思って死ぬのは大きな違いです。

この方にとって、刺激のあるなしは、充実した人生かそうでないか、

という事でした。

 

さらにお話を深く聞いていくと、どうも一つの考えが見えてきました。

それは、「誰か刺激をちょうだい」という考え方です。

外部から刺激や満足は与えられる物と思っているのです。

誰かから貰わないと、自分の力では手に入らないものという考えでした。

 

きっと今までは誰かが用意してくれる事が多かったのでしょう。

 

ただ、誰かの用意が途絶えた時、自分で見付ける事が出来ず、

日常にしんどさを感じ始めたようです。

 

 

そこである一人の面白い方の話を思い出しました。

自分の一日の中で、面白い瞬間を1秒間ビデオに記録し、

それを毎日保存していく事で、自分の人生を記録しようと考えた方がいました。

 

そして、それを行い始めた時、自分は今までどれだけ何も考えずに過ごしていたかを実感し、

1日の中の1秒だけであっても充実して過ごそうと考えたそうです。

 

すると、自分の人生が変わり、積極的に人生を楽しむようになったそうです。

 

 

この刺激が無く、平穏な日常が退屈と言っている方も同じで、

自分から積極的になる事で、平穏な日常が感動溢れる日常に変わるかもしれません。

明日、自分が歩けなくなったとしたら、今日歩ける自分は奇跡的な事です。

早起きして、朝日が昇る所を見るだけで感動するかもしれません。

 

私に色々なお話をして下さり、

最後には、自分から楽しみを探そうと思ったそうです。

 

実感するには、まだ時間が掛かるかもしれません。

ただ、少しずつ充実した日常を見つけてくれればと思います。