本日、とある所で読んだ内容が非常に面白くご紹介したいと思います。
内容は日本での個性に関して。
現在の日本では、個性的とか個性が有る事を良い事として語られている風潮があります。
それ自体は特に悪い事ではありませんが、
日本の中で語られている個性が、そのままの個性では無いと指摘されているのです。
良い個性だけ、個性的と評価されているのです。
例えば、勉強が出来る個性、特殊技能がある個性、
協調性があり誰とでも仲良くなる個性、リーダーシップ等です。
一方の逸脱した個性は敬遠されます。
例えば、協調性が無く自分の事だけ淡々とする個性、
同性を好きになる個性、字が下手な個性、のんびり屋でなかなか決めれない個性。
そして、平凡という個性は無個性で片付けられてしまいます。
物静かで言われた事はしっかりとする個性、口下手であまり自己主張できない個性、
特技や趣味も無い個性、勉強で全てが平均的な点数の個性。
これらか分かる通り、現在の日本は個性という言葉が能力の言い換えになっている
と指摘をしていました。
ただ、当たり障りが良くて魅力的な「個性」という言葉が多く使われ、
今では当たり前の様に親から子供・若者へ
「自分の個性にあった仕事を見付けなさい」と言われていて、
子供・若者に大変な思いをさせています。
言い換えると、「若くして他から認められる個性を持ち、
社会に出る前から好きな仕事を選びなさいという意味とありました。
言われてみて、確かに個性=能力という意味で使われる事が非常に多い事を実感します。
個性的が良いと言われつつ、本当に個性的な事は望まれておらず、
世間から求められる良い個性という枠に入る個性を望まれています。
そうすると枠に入れられる方はとても窮屈に感じ、
ストレスを感じます。
個性も変わっていき、成長していきます。
その人のあるがままを受け入れる事が個性を認める事であり、
社会に出て躓く事も個性を成長させる事だと思います。
私自身、社会に出て躓いたからこそ自分の個性を発揮できる事を見付けました。
今後、少しずつ個性=能力から個性をあるがままに受け入れる様になって欲しいと感じます。
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