おはようございます!
今日から皐月ですね。
私は今、合宿をしており八ヶ岳という所にいます。そこは標高1000m以上あります。
ただ、そこまで寒くはないのですが、まだ桜が咲いており、
昨日、晴れている時にはひらひらと待っていました。
打ち合わせ中にふと外を見ると、綺麗な花吹雪が観れていて、凄く良かったです。
そんな合宿中に感じていることは、同じ言葉を使っていても、話がずれる経験ですね。
合宿中に「チーム」という一つの単語を使っていましたが、あるメンバーは「キャリコン全体」を指し、
あるメンバーは「今日、この場に集まっている主要メンバー」を指して、
議論が空転していたことがありました。
これはすぐに気付くことが出来ましたが、でも、普段から起こることだなと思いました。
私たちは一つ一つの言葉に紐づくイメージを持っています。
そのイメージは体験したことや学んだことから来るものです。
その為、同じ体験をした人や、同じ学習経験を持つ人はいません。
(同じ内容の教科書を読んだとしても、そこから学び取る事はバラバラなので、
同じ学習経験を持つ人はいないのです)
ですから、一人ひとりが持つ言葉のイメージはバラバラなんです。
例えば、テーブルの上にグレープフルーツとメロンとアボガドがあったとします。
ある人から「テーブルの上の果物取って」と言われて、何を持っていくでしょうか。
多くの人はグレープフルーツとメロンかもしれませんが、
アボガドを食後のデザートとして食べる人がいれば、アボガドも持っていくかもしれません。
しかし、サラダと一緒にグレープフルーツを食べる人は、
グレープフルーツを野菜として認識しているかもしれません。
そして、正確な農林水産省の分類訳では、アボカドは野菜的果物、メロンは果物的野菜、
純粋な果物はグレープフルーツだけです。
こんな風に、たった一つの単純な言葉でもズレるのに、
多くの言葉や想いがズレ続けて仕事をすると、どうなると思いますか?
そんな事を思いながらワークを作成し、今後の展開を考えています。