日本では、昔から変わらず、
暴力による教育が存在しています。
そんな中、桑田真澄さんの記事を読みました。
以下は、そのリンクです。
「体罰は自立妨げ成長の芽摘む」桑田真澄さん経験踏まえ
朝日新聞デジタル 1月11日(金)20時51分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130111-00000042-asahi-soci
私は、この桑田選手の記事を読んで、
ますます好きになりました。
自分が体験した事であり、
一流の実績を残された方だからこそ、発言できる事でもあり、
実際にそれをおこなった事が、本当に素晴らしいと思います。
私の考えは、暴力は反対です。
この考えが、正しいことかどうかは分かっていません。
暴力でしか教えられない事があるかもしれません、
ただ、暴力で失う物は確実にあると思っています。
アドラーという心理学者が提唱したアドラー心理学の中で、
下記の様な文章があります。
「アドラーは力によるのではなく言葉を使って問題を解決することが重要である、と考えました。
~中略~
友だちに怪我をさせるとはお前は何という奴だ、と親が子どもを叩いたりすると、子どもは何を学ぶかを
考えてみなければなりません。
問題を解決するためには力によるしかないことを学ぶのです。
~中略~
しかし中にはあのとき叩かれて初めて目が覚めた、と後になって感謝する人がいます。
そのような人は自分も同じことをすることになるでしょう。」
(「アドラー心理学入門」 岸見一郎著 ワニのNEW新書出版 P86-87)
実際に、叩かれて感謝している方はいると思います。
その方は、同じように自分の子供や、ミスをした人をその人の為と思って
暴力を思う存分、振るうでしょう。
むしろ、それ以外の方法が分からず、
暴力こそ正しい方法と思うかもしれません。
その先には、どういう事が待っているのでしょうか。
現在、大阪で起きたような事件、
桑田真澄さんが仰っているような夢を諦める人が出てくること、
そして、暴力をふるう人自身の将来が無くなる事。
暴力は正しかったと仰っている方がいます。
そういう方は、自分が暴力を振るわれる事に喜びや感謝を抱くのでしょうか、
それとも怒るのでしょうか。
もし、少しでも怒る気持ちが湧き上がるなら、
すぐにでも暴力の連鎖は止めないといけないと思っています。
殴る事の教育、恐怖による教育を考えるよりも、
まずは、話す事による教育、聴く事による教育、
可能性を信じる教育を考えてみて欲しいと思います。
言葉と心を扱う心理カウンセラーとして感じています。
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