初め、全く音がしない静かな場所にいます。
その後、街中に移動すると、うるさく感じます。
その街中で生活すると、特にうるさい事が気にならなくなります。
そこに、選挙のような街宣車が来たとします。
うるさく感じて、しょうがありません。
その街宣車も毎日来ていると、次第に慣れてきます。
ある日、ふと気付くと、そんなにうるさく感じておらず、
いつ街宣車が来て、いつ去っていったかも分からなく感じます。
人は、刺激に慣れやすい生き物です。
ある刺激をしばらくの間、受けると、慣れていくのです。
これを順応と言います。
何か喜ぶような出来事も、一種の刺激です。
もうすぐクリスマス、子どもたちはプレゼントを貰える時期ですね。
このプレゼントも一年に一度だから、非常に嬉しいです。
お願いすれば買って貰える状況に要ると、
クリスマスにプレゼントを貰っても、
そこまで嬉しくはなりません。
初めは、非常に面白かったお笑い芸人のネタも、
一年も経たずに飽きられてしまうのも、
人が順応してしまうからです。
面白いと感じた物も面白く感じなくなるのです。
さて、「失ってから初めて気付く幸せ」という言葉を聴くことはありませんか?
これも、一緒にいる心地よさ、幸せという刺激を、初めの内は感じる事が出来るのですが、
時間が経つに連れて、お互いに慣れてしまい、もっと大きな刺激が欲しくなるのです。
そして、他の人に目移りしてしまったり、相手に対してもっと刺激を要求したり、
自分から相手に刺激を与える事を控えてしまったりするのです。
人の欲求を満たす物にも慣れはあります。
初めは褒めらたら嬉しくて、どんどんヤル気を出しますが、
次第に褒められても嬉しさを感じにくくなり、褒められる以外の何かが欲しくなるのです。
そして、そのようにドンドンと欲求が大きくなっている事にも、
気付かなかったり、慣れてしまう事があります。
そんな時には、ふと振り返って、自分が求めてきた事を確認し、
自分が刺激を求め過ぎていないか振り返る必要があります。
初めは、ヤル気を持って仕事をし始めたのに、
いつしか与えられた仕事だけに安住してしまっている。
危機感を持って仕事をしていたはずが、
いつの間にか、危機感を忘れ惰性になってしまっている。
提案した事を受け入れてくれた事に感謝していたはずが、
いつの間にやら、提案した事が通らない事に不満を感じるようになってしまう。
刺激は小さいと心地よく、大きいと体に毒になります。
慣れは生きていく上で必要だけど、
慣れすぎると本来求めていた事も忘れてしまいます。
自分の中でバランスを取り、程よい刺激と、
慣れながらも惰性にならないような調整を取って、
過ごしていきたいですね。
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