「認知」という言葉をご存知でしょうか。
「子供を認知する」という時に遣う「認知」とは別の意味で、
心理学の世界では、
「知識を得る働き、すなわち知覚・記憶・推論・問題解決などの知的活動を総称する事」
を意味しています。
これだと何の事か分からないので簡単に説明すると、
「結婚式」という言葉を聞くと、どんなイメージをしますか?
幸せ、楽しそう…。
大変そう、もうこりごり…。
このようなイメージを自動的にする、思考のクセの事を認知といいます。
ドラマやCMで結婚式のイメージを想像している人は、
結婚式と聞いただけで、「幸せそうだな~」と想像します。
実際に結婚式をおこなったばかりで、
二次会、三次会で酔い潰された旦那さんの面倒をみていた奥さんは、
結婚式と聞いただけで、「もうこりごり」と考えるかもしれません。
一方で、日本語を知らない外人に「結婚式」と言っても、
何のことか分からず、何の想像もしません。
このような何かの事実・言葉・映像から思考や感情を呼び起こす機能を「認知」と言います。
ちなみに「認知」は過去の経験・記憶・知識を基に形成されていきます。
そしてもう一つ、過去の経験で形成された「認知」と、
全く別の事実(別の認知)が起きた時に、
人は別の事実(別の認知)を受け入れられないと「認知的不協和」に陥ります。
例えば、自分を救ってくれた宗教があったとします。
それはお金を寄付したおかげで、自分の病気を治してくれたのです。
その宗教から、さらにお金を寄付すれば、自分の人生を幸せにしてくれると言われました。
その通りにお金を寄付する事で、本当に心が幸せになったような気がしました。
そんなある日、自分の宗教団体が詐欺団体として警察の調査が入りました。
それは、自分の信じていた宗教とは全く別の面を見せ付けられたのです。
自分の認知は「この宗教は正しい」です。
ただ、警察に調査が入った事実は「この宗教は詐欺だ」という事を指し示しています。
その時に、事実を受け入れられないと、「きっとこれは警察の陰謀だ!」なんて思うのです。
この様な大げさな事は無くても、小さな事なら頻繁に起こります。
例えば、服を買う時に、2つの商品で悩んだとします。
そして一方の商品を買ったけど、やはりもう一方を買えば良かったかなと悩むのです。
すると、自分が選ぶときに考えた「この服の方が良い!」という認知とは
違う認知(あっちの服の方が良かったかな)が出てきます。
ただ、これに納得すると、自分が損をしてしまった事になる。
そんな事は受け入れたくないと思うと、
「やっぱりこの服の方が良かった」と思える方法を探します。
例えば、友達に似合っていると言って貰う様にしたり、
他の綺麗な人が自分と同じ服を着ているのを探したり、
もしくはもう一つの服を似合っていない人が着ているのを探して落ち着こうとしたり。
今は、良い大学に行っても、幸せな人生が待っているとは言えない世の中です。
もちろん、良い大学に行った方が、安定した人生を送れる可能性があるのも事実です。
むしろ、どのような状況であれ、失敗にめげずに立ち上がれる人の方が、
幸せな人生を送れるかもしれません。
ただ、昔の良い大学=幸せな人生の価値観が揺らいでいても、
その価値観が無くなった時に、自分の子供にどのように接すれば良いか分からず、
以前の価値観に縛られている人は沢山いるように感じます。
一種の「認知的不協和」を起こしているのかもしれません。
自分の人生と向き合って生きる事は、大変かもしれませんが、
良かったと思える時が来ると思います。
「認知的不協和」は勝手に起こりますが、
冷静に色々な視点から物事を見ると、
自分の状態に気付く事が出来ます。
自分の過去の経験・記憶・知識に縛られる事無く、
前を向いて進んで生きたい、
そう考える今日この頃です。
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